建築巡りの備忘録

最近始めた建築巡り。見学して気付いたことの覚え書き。

金沢21世紀美術館② 人々の様子がフォーカスされた新時代の建築だ!

設計:SANAA 

訪問日:2018年8月8日(水)


昨日も来た21美に再訪し、21美の魅力の要因に迫ります。兼六園と21美は似ていると、兼六園の記事で書きましたが、今回も兼六園との共通点に触れることになります。


今日はチケットを購入せず、無料の「交流ゾーン」と周囲の芝生広場をじっくり見学しました。
昨日と同様、多くの人々で賑わっていましたが、注目すべきはその人々の幅広さ。日本人も外国人も、男性も女性も、そして、年配の方から子供まで、本当に老若男女いろんな人が来ています。特に、ちびっこや家族連れ、女性客の多さは、美術館の中でずば抜けていると思います。


さて、今日こそはこの雰囲気を伝わる写真を撮るぞと意気込み、何枚かパシャリ。うーん、かっこいいんだけど、やっぱり何か違う。いろいろ設定を悩んで、試しに低速シャッターで人々の動きをぶらしてみると。おっ!それっぽい! 

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あまりに透明で均一な空間を、我々は認識できず、代わりに人々が行き交うその様子を認識していたのだと、ここで気付きました。つまり、色も形も全てを削ぎ落とされた空間では、その空間自体の形や色を見ているようで、全く見ていなかった訳です。当たり前と言えば当たり前ですね。確かに、写真でもピントを合わせる場所がはっきりせず、AFも迷っていました。

 

こんな空間体験は初めてで、今までにない全く新しい空間をSANAAは作り上げてしまったんだと実感しました。21美は、まさに21世紀を、新時代を背負う建築なんですね。

 

また、「鈴木大拙館」は「対比」「静寂」がキーワードでしたが、21美は透明に「統一」されていて、人々の「動」きに注目した建築。つまり、両者は全く対照的な建築ということになります。


話がそれましたが、人々が行き交う様子が顕になっていること、つまり、21美が「様子を楽しむ空間」であること、これが楽しさの理由なのだと思います。そして、私はこの楽しさを「街歩き」的だと表現したいと思います。ほら、「街歩き」が好きだという人は結構いますが、実際、街のディティールなどを観察している人はごくわずかで、結局楽しみにしているのは、街の雰囲気だったり、綺麗なお姉さんやダンディなおじさまとすれちがってときめくことだったりという点で一緒ですよね。だから、21美は、美術に精通していなくても楽しめて、幅広い人々が集まってくるのだと理解しました。


エントランス。奥に見えるのが「スイミング・プール」。やっぱり子どもが多いです。21美には託児所があり、子供が来館できる環境が整っています。

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交流ゾーンのベンチ。床から天井までのガラス壁は、屋外との境界を消し、開放感あふれる空間をつくるのに成功しています。屋外の芝生広場はまるで公園のようですが、交流ゾーンもその一部に見えてきます。交流ゾーンは、展示会ゾーンの周りをぐるっと囲うように配置されており、ぐるぐるとずっと歩き続けることが可能。そして、回遊していると、ライブラリーやショップ、レストラン、ラウンジなどいろんなものが次々に現れる。これも「街歩き」的な楽しさですね。

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地下一階、休憩スペースにあるフラワーチェアー。

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楽しげな周囲の芝生広場。道路に対して微妙にレベルを下げているので、自然と人々は美術館に引き込まれます。

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「企画展も見ていないし、お金も払ってない。ただ来ただけ、でもこんなに楽しい!」やっぱり21美はすごいな、とただただ感動するばかりでした。

 

『まちに開かれた公園のような美術館』が設計のコンセプトですが、21美ほどコンセプトを有言実行している建築を私は知りませんし、老若男女すべての人に開かれていて、理想的な公共建築として完全に成功を収めていると言えます。全く新しい空間で、全く新しい感覚を味わうことができ、大変勉強になった上、21美の魅力の本質に迫ることができ、価値ある再訪問となりました。